RUNNERS HIGH -福祉のミカタ-

20代最後の夜に20代を振り返る

いよいよ明日30歳になる。

あっという間のようで、いろいろあった20代。

どのような道のりを歩んできたんだろうか?

今回は、20代最後の夜に自分が歩んだ足跡をTwitterで振り返る。

20歳から22歳

10代は敷かれたレールをただ歩くだけだった。

将来何かやりたいことが明確にあるわけでもなく、大学に入学。

成人式を終えたけど、自分が小学生ぐらいに思っていた大人とはほど遠いものだった。

それでもカンボジアにボランティアに行ったり、障がいのある子のお母さんの話を聴き、自分のなかで問題意識が芽生えていった。

陸上部で駅伝が終わり、みんなと同じようにスーツを着て就職活動を始めた。

以前は、仕事に対してネガティブなイメージがあったけど、

福岡の社長にインタビューを重ねるにつれて仕事のイメージが良くなった。

仕事は人の問題を解決する営みである。

人の役に立つことに喜びを感じながらチャレンジしていく人たちとの出会いは大きかった。

23歳 卒業と仕事

ちょっとずつ仕事に慣れてきたときに同期がいる鹿児島に行った。

その時に立ち寄った知覧で手紙を読み、本当にしたいことは何かを問いかけられた。

福祉の道へ進むことを決めた。

このときの決断は人生のなかでも大きな転換期だったんじゃないかな。

24歳 念願のデンマークへ

大学時代にデンマークの働き方を調べて、いつか行ってみたいと思っていたデンマークへ視察する。

食べるもの、聴く話、文化の違いに感動。

多様性を受け入れる度量と考え方の柔軟さに学ぶことが多くあった。

常識というものは場所が変わると常識ではない。

比較対象があるからこそ考えることができると体感する。

25歳 キャリスクと出会う

福祉を一つの事業所とか小さな単位でなく、もっと地域で考えたい。

その想いからスタートしたシフク。

そして、大学生のプロジェクトをメンターとして支えるキャリスク。

人の成長を自分のことのように楽しめることができたことに喜びを感じた機会だった。

26歳 ねんパラピックとイノスタ

カムラックに入社。

障がいがあっても仕事や環境があれば、活躍できる場がつくれると体感。

基本やりたいことを応援してくださり、自分の活かし方などさまざまなことを学ばさせていただきました。

いまでも一緒に働いた方たちとつながっています。

イノベーションスタジオ福岡で多様な専門性のある人達とプロジェクトを考えていった。

自分がどんなところで強みを発揮できるのか悩み、考える機会になった。

エクストリームユーザーという第一線で活躍している人への取材から、

自分自身もっと専門性を深めていきたいと強く思った。

あとは、デンマークでプロポーズをする。

緊張しすぎて何を言ったか覚えていない。

27歳 ねんパラと結婚

クラウドファンディングで集めた資金で開催した「ねんパラピック」

自分一人では絶対にできなかったことが沢山の人の協力のおかげで実現できた。

途中何度も諦めかけたけど、

「ディズニーランドよりも夢の時間を過ごせました。」

という言葉を聴いて本当にやってよかったと思った。

僕にとって大きな経験になった。

そして結婚式を挙げる。

大好きな人達に祝福されて本当に幸せな瞬間だった。

28歳 鳥取へ

祖父母の養子として中尾から西嶋に名字が変わった。

最初は慣れなかったけど、大きく変わることはない。

これまで離れたことのなかった福岡を離れて鳥取に移住する。

住む場所が変わるだけで、こうも文化が違うのかと発見の連続だった。

引っ越した先の用瀬の人たちが本当に良い人ばかりで豊かな時間が流れていった。

29歳 次のステップへ

縁もゆかりもない鳥取で、大好きな人達と出会えた。

一緒に本を読み、旅に出て、お酒を飲んで。

障がいがあってもなくても楽しめるスポーツの企画も作り上げた。

マラソンの練習もしたし、仕事でも沢山助けられた。

時には地域の祭りに出てと本当に楽しい時間だった。

第二の故郷にまた遊びにいきたい。

おわりに

Connecting The Dots・点と点をつなげ」というスティーブ・ジョブズの有名な言葉ある。

まさしく今までの一つひとつの行動がつながってきている気がしている。

周り道をしているようで、その一日が意味があったと思える瞬間を何度か体験してきた。

ただ、それは自分ひとりの力では決してない。

本当に沢山の人たちに支えられて今がある。

これから30代に突入する。

20代のときに経験してきたことを意味のあるものにしていきたい。

とても充実した20代でした。ありがとう。

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