RUNNERS HIGH -福祉のミカタ-

15年連続日本一!美しい庭園「足立美術館」の見どころとは?北大路魯山人の言葉

今日は、横山大観や北大路魯山人らの名画や枯山水庭園で有名な足立美術館に行ってきた。

島根県安来市というアクセスを悪い場所であるにも関わらず、日本人だけではなく海外からも沢山の人が訪れていた。

それもそのはず。

米国の日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」が実施した2017年の日本庭園ランキングで1位。

2003年から開始してから毎年一位に輝き続けている。

四季によってまた違う良さがあるからリピーターも多いという。

なんと年間50万人。

実際に足立美術館のなかに足を踏み入れると、3時間感動しっぱなしだった。

今回は足立美術館の魅力について紹介していく。

創設者、足立全康のこだわり

驚きなのが、この美術館は創設者である足立全康という実業家が設立したものということ。

「庭園もまた一幅の絵画である」という信念が庭園の細部へのこだわりから伝わってきた。

庭園だけでなく、背後にある山も併せて作品となっている。

この絵を常に保ち続けるために買い取っているそうだ。

維持の秘訣は7名の専属の庭師さんが丁寧に手入れをしていること。

石1つにしても庭に合うものを使うために収集し、定期的に洗い、美しさを保っている。

窓枠から見える庭園は間違いなく一つの絵だった。

横山大観、生誕150年

ちょうど今、横山大観生誕150年を記念して、名画がいくつも展示してある。

名画は撮影禁止だったので、残念ながら写真は掲載できないけど圧巻。

水墨画一つにしても黒だけで、四季折々の風景を書き出している。

また若い頃に描いた作品から集大成までの道のりを絵画を通じて追っていけるのは変化を感じることができて感慨深いものがあった。

あと、個人的には大橋翠石の虎図と榊原紫峰の野鳥の絵画と

美は刹那であると共に、美は実に永遠であらねばならないと思う

という言葉が好きだった。

北大路魯山人の言葉

僕が何より心に残っているのが北大路魯山人の陶器のフロアだ。

間違いなく陶器も素晴らしかったが、そこで紹介されていた言葉が印象に残っている。

遊ぶ努力

今後十年私に健康を与えてくれるなら、なんとかしたものを遺すべく努力したいと思っている。努力といっても私のは遊ぶ努力である。
私は世間のみなが働き過ぎると思う一人である。私は世間の人がなぜもっと遊ばないかと思っている。画でも字でも、茶事でも雅事でも遊んでよいことまで世間は働いている。なんでもよいから自分の仕事に遊ぶ人が出て来ないものかと私は待望している。仕事に働く人は不幸だ。仕事を役目のように了えて他のことの遊びによって自己の慰めとなす人は幸せとはいえない。政治でも実業でも遊ぶ心があって余裕があると思うのである。

いつの間にか北大路魯山人が言っている仕事に働く人になっていた気がする。

ただ、その遊び心、幸せを掴むのなまやさしいものではなさそうだ。

同じフロアに飾ってあった言葉を前に足が止まった。

口で言うのはやすいことだが、
現実に表現が物を言うようなことは、
なまやさしい作業でなし得られるものではない。
さぁ自由なものを作ってみろと解放されたとしても、
決して自由にはできないものである。
第一過去の人間が作った美術に
充分心眼が開かなくては、かなわぬことである。

過去と言っても千年も二千年も前からの
美術・芸術に眼が利かなくては、
かなわぬことなのである。

食器師だからと言うので
陶器ばかり視ているくらいの注視力では、
乙な器は生まれるものではない。
三百年の茶碗が作りたければ、
千年前の美術がわからなくてはかなわぬものである。

料理なども細民の美食から
大名の悪食にまでに通じていなくては、
一人前の料理人とは言い難い。

それには恐ろしいまでの努力が必要であって、
調理場ばかりで十年二十年の苦労を積んでみたとて、
料理を語る段階には至らぬものである。
乞食になってみるのもムダではない。
虚飾でかたまっている大名料理を経験してみるのもムダではない。
本格な床柱を背に大尽を決めこむようなこともたびたびあってよい。
陶器する心も、ほぼ同じである。

芸術だけにとどまらず、福祉や教育、音楽にせよ努力がなければ本質は掴めない。

ただ、その追求する過程すらも楽しめるのであれば、人生はよりおもしろいものとなっていく気がした。

北大路魯山人について全くと言っていいほど知らなかったけど、好きになった。

足立美術館は、四季折々に庭園が魅せる景色も名画も変わるそうだ。

日本人であれば一度は訪れてほしい。

コメントを残す

サブコンテンツ

このページの先頭へ