RUNNERS HIGH -福祉のミカタ-

教養はなぜ必要なのか?いま僕たちが疑うべきこと

みんなが就活をしているから、僕も就活をしよう。

みんなが学校に行っているから学校に行こう。

と言われた時に、みなさんは

「うん!そうしよう」

と素直に受け止めますか?

それとも

いや、待てよ。果たしてその選択はいいことなのか?

と、一度疑問を持つようなタイプでしょうか?

今の時代、求められているのは、その常識を疑って判断しようというようなものです。

しかし、全ての常識を疑っていたら日常は破綻します。

なぜなら、この世はルールやマニュアルで溢れているから。

なぜ時計は右回りなのか?

と細かいところを気にし始めていたら、成り立たなくなってしまいます。

そこでヒントになると言われているもの教養です。

ではなぜ教養が必要なのでしょうか?

武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学という本で、

著者の山口周氏はこのように述べています。

教養が必要な理由

重要なのは、よく言われるような「常識を疑う」という態度を身につけるということではなく、「見送っていい常識」と「疑うべき常識」を見極める選球眼を持つということです。そしてこの選球眼を与えてくれるものが、空間軸と時間軸での知識の広がり=教養ということです。

日常で少し我慢してでも一流に触れろ!

というアドバイスを年上の人から受けたことがあるかもしれませんが、

それが、一つ教養となり得るでしょう。

例えば、リッツ・カールトンや加賀屋という旅館に泊まると自分のなかで支軸ができます。

そこそこのホテルに行くと「なぜ、居心地さに物足りなさを感じるのか?」

という問いを持つことになるかもしれません。

それは、体験や知識を比較相対化することができるからです。

教養は、役に立たない学問なのか?

最近、注目を集めつつあるリベラルアーツ。

「リーダーに教養が求められる理由」について次のように言及しています。

無教養な専門家こそ、われわれの文明にとっての最大の脅威

道具は使い手によって社会を良くもできるし、悪くもできると言われますよね。

僕は、本当にそうだなぁと今の仕事に関わりながらも感じています。

昨年発生した制度を悪用し、障がい者を利用して金儲けをした事業所の末路。

教養や哲学なくして、社会的な立場や専門性を持つ人。

誰かを騙してまでお金儲けして幸せを掴もうとする人たちが出てくるのはなぜなのでしょうか?

その答えの一つは、過去から学ぶことがないために起きている悲劇かもしれません。

周りがやっていたから問題ないと思った言い訳をしていたり、

上司からの指示だ!と責任逃れをしようとするニュースを見るたびに同じことが繰り返されているなぁと悲しくなります。

なぜ、こんなことを人はするのか?

なぜ、組織は変われないのか?

という問いは、過去に多くの哲学者が問い続けてきました。

いま何を問い、何にチャレンジしていくことが求められているのか?

そこでの哲学に触れることは大いに価値のあると僕は考えています。

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