RUNNERS HIGH -福祉のミカタ-

ハロウィーンRUN。僕の感知する世界

10月最後のロングランはハロウィーンだった。

ハロウィーンだからか、ゴーストランナートロフィーを獲得した🏆w

ナイキのランニングアプリを入れているけど、こういう遊び心すき。

今回は、10月のマラソン練習の振り返りと走る時に何で走っているんだろう?ってことを改めて考えたので記していきます。

ランナーの皆さん、なんで走っているんでしょうか?

10月の月間距離報告

月間180キロと先月よりも距離は落としたけど、トレイルランや30キロ走など質は高めることができていたはず。

同じ距離でもスピードは上がってきている。

ハロウィーンRUNについては、後半は3分台をキープ。

3ヶ月前には自分でも想像できなかったことだ。

走ることについて僕の語ること

あと、話しが急展開するけれど、久しぶりに村上春樹さんの走ることについて語るときに僕の語ることの言葉を読んだ。

村上春樹さんといえば、海外のマラソン大会によく出没する小説家としても有名な方。

集中力を走ることを通じて養えるという発想というのは、僕も大きく縦に首を振る。

あと、走ることについて詩のごとく言語化できるのが素敵だ。

「僕は人間ではない。一個の純粋な機械だ。機械だから、何を感じる必要もない。ひたすら前に進むだけだ」

その言葉を頭の中でマントラのように、何度も何度も繰り返した。
文字通り「機械的」に反復する。
そして自分の感知する世界をできるだけ狭く限定しようと努める。

僕が目にしているのはせいぜい3メートルほど先の地面で、それより先のことはわからない。僕のとりあえずの世界は、ここから3メートル先で完結している。
その先のことを考える必要はない。
空も、風も、過去も、記憶も、僕にとってはもうなんの関係もないものごとなのだ。

ここから3メートル先の地点まで足を運ぶーそれだけが僕という人間の、いや違う、僕という機会のささやかな存在意義なのだ。

走るという行為は、バスケやサッカーと比べると個人種目だから他者はきっとマラソンランナーとかでない限り、興味を持たれることなんてない。

それだけど、僕は走ることで自分の存在を確かめる機会になる。

景色が移ろうなかで自分との対話を重ねて、そのなかで他者との関わった自分というものを見つけて存在を再認識しているのかもしれない。

あとは、走ること自体を気持ちよいと感じている自分をじっくりと知ることができる。

走っていると不思議と感情が静かに湧いてくるのだ。

気づけば夏から秋へと季節も変化している。

そんなちょっとした環境の変化にも気づくひとときとなるのも、僕が走る理由かもしれないなとそんなことを思った。

いよいよ福岡マラソンまで残り10日を切った。

またきっと走る時に、いろんなことを思うのだろう。

僕の感知する世界は、ちょっとずつ広がっていく。

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