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【見城徹の読書論】情報の断片を集めるよりも大事なこと

最近、読書を毎日30分は取るようになった。

朝、ちょっと早めに起きてコーヒーを沸かして飲む。

これが僕にとって至福の時間だ。

生産性をアップするにはどうすればいいのか?

や、教育を統計学的に捉え直そう!とやっている本など、

どちらかというとビジネス書よりに近いものが多くなってきた。

ただ残念なことに記憶があまり定着していない。

知識として頭の中に入れているだけで、

どうやら、満足してしまっているようだ。

何のために読んでいるのだろう?

誰かからカッコよく思われたいから?

Googleで調べたらすぐに答えが見つかる時代で、

暗記するだけの読書はなんか違うような気がしていた。

そんなことを考えていた時に出会ったのが、見城徹さんの『読書という荒野』だ。

面白すぎて、僕が購入して1日で読破してしまった。

お前の読書は読書ではなく、ただ文字を追っているだけにすぎない

と言われているような錯覚に陥った。

ストイックすぎる部分もあるけど

今の自分にとって見城さんの本の向き合い方は、

全てじゃないけど取り入れていきたい要素が詰まっていた。

今回は、刺さった言葉や読んで考えたことを紹介していきたい。

読書とは何か?

みなさんは、読書とは何か?

と尋ねられた時に、どのように答えるだろうか?

そのまま捉えれば書を読むことだけど、

その行為には、それぞれ何か目的があるのだと思う。

自分の知らない世界を知る為のものと定義する人もいれば

突き詰めて考えずにもっと気楽に読むほうが楽しいという人もいるかもしれまない。

ただ、見城さんの読書論は、自分の生き方を左右するものだった。

読書とは自己検証、自己嫌悪、自己否定を経て、究極の自己肯定へと至る、最も重要な武器なのである。生きて行くということは矛盾や葛藤を抱えて、それをどうにかしてねじ伏せるということだ。

見城さんのストイックなところで見習いたいところがある。

それは、言葉の意味を考え抜いたものじゃないと使わないところだ。

自己検証、自己嫌悪、自己否定という言葉もそれぞれ定義している。

自己検証とは、自分の思考や行動を客観的に見直し、修正すること。自己嫌悪とは、自意識過剰さや自己顕示欲を恥じ、自分の狡さや狭量さ、怠惰さに苛立つこと。そして自己否定とは、自己満足を排し、成長していない自分や、自分が拠って立つ場所を否定し、新たな自分を手に入れることだ。

そしてこの後、本では具体的なエピソードを添えて

自己検証や自己嫌悪、自己否定と向き合っていくのか紹介されている。

今年67歳になる見城さんでさえも

未だに今の自分のことに満足などしていない。

これは、本でなくても気づかせてくれる人が身近にいれば、全く問題ないと思う。

だけど、自分の役職が上がったり年齢を重ねると、

辛辣なフィードバックをくれる人は少なくなるはず。

自分が上手くいっていると天狗になっている時こそ、

自己検証、自己嫌悪、自己否定できる本を読んで

「自分は、ある部分は確実に成長しているけど、ここの部分は全然まだまだだ」

と言って進んでいきたい。

情報の断片を集めるよりも大事なこと

たくさん知識があることを良しとする風潮がまだあるなかで、見城さんは本で指摘している。

情報の断片を積み重ねるより、そこから何を感じたかのほうが重要だ。

最近、本を読む人が少なくなったせいか簡単に読める本が増えてきている。

本を読まない人が多くなっている世の中でそれは必要なことかもしれないけれど

エッセンスだけを抜き取っただけでは、たどり着けない境地はある。

結論だけの本だけだと、何も心は動かないのだ。

その結論に至るまでに、著者がどのような葛藤を味わい

その言葉に出会えたのかが実は読み手にとっても必要な気がしている。

僕もこれまで本を読んだ時に何気ない描写が、心に残り、

そこで初めて何か自分のなかで形にしたいという感情が生まれてきた。

読書という荒野の後半では、出会った作家のことについても触れているが

その人がなぜ凄いのかを分析しつくしていることがヒシヒシと伝わってくる。

また見城さんが影響を受けた本の引用分も紹介されているのだけど、

胸に迫ってくるものがある。

僕と同じように今よりも質の高い読書をしたい方はぜひぜひ読んでみてほしい。

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