RUNNERS HIGH -福祉のミカタ-

『沈黙-サイレンス-』 僕たちは何を信じて生きていくのか?

いきなりだけど、皆さんは神様を信じているだろうか?

日本人はクリスマスパーティもするし、結婚式では教会でアーメンという。

だけど、キリスト教について深く知っている人ってどれぐらいいるんだろうか?と思う。

僕もその一人。

宗教について初めて知ったのは、定かでないけど日本史の授業。

「江戸幕府がキリスト教を禁止した時に、イエス・キリストの絵を踏ませてキリシタンかどうか試していたんだよ」

と教えてもらった。

ただ、絵を踏むだけなのに拒んで殺された人がたくさんいると聞いて不思議でたまらなかったはずだ。

「その人たちは何を信じていたのだろうか?」

「なぜ、踏むことよりも死ぬことを選んだんだろうか?」

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沈黙について

昨日、「信仰とは何か?」という謎に対して深く深く切り込んだ映画を観た。

その映画とは『沈黙-サイレンス』

遠藤周作の名作『沈黙』をマーティン・スコセッシ監督がハリウッド映画化したものだ。

25年という歳月をかけて、遠藤周作の世界観は素晴らしかった。

海外の人だから見える客観的な視点で日本の文化・宗教観・特性を描いていた。

とにかく答えのない問いについて考えさせられる作品。

あらすじ

沈黙は歴史小説。

時代は、17世紀の江戸時代初期で、舞台は長崎。

島原の乱が収束して間もない頃、

イエズス会の高名な神学者フェレイラが日本で棄教したという報せがローマに入る。

異国での布教に人生を捧げていた師匠が信仰を捨てたと知らされ、その真偽を確かめるために日本行きを決意する。

フェレイラの弟子であるロドリゴ(主人公)は日本に潜入するために立ち寄ったマカオで、

日本人でキリスト教徒であるキチジローという青年に出会う。

キチジローの案内で日本に潜入したロドリゴは日本の隠れキリシタン達に歓迎されるが…

キリシタン弾圧の渦中に置かれたポルトガル人の司祭を通じて、神と信仰の意義を命題に描いている。

信じたら救われるのか?

日本人がキリスト教を信じた理由

日本人がキリスト教を信仰し始めた理由は、キリスト教以外に希望がなかったからだ。

身分が低く、労役があり、年貢を納めるだけの人生。

「信じるものは救われる」というキリスト教は彼らの希望になった。

日本のキリシタンは、死んだら労役も年貢もないパライソ(天国)に行けると信じていたのだ。

神の沈黙

現実はどうだろうか?

キリスト教を信じた者は、とても惨い死を遂げていく。

人を信じたら騙される。

祈っても目の前の人は助からない。

「神は自分が苦しむ姿を見ながらも、なぜ沈黙を続けるのか?」

「自分を騙した哀れな者も救わなければならないのか?」

「強く信じても目の前の人を救えない自分自身が持つ、宗教とは何なのか?」

「なぜ弱きわれらが苦しむのか?」

迷い、神の存在を疑い始めていく。

信じることを辞めれば救われる人が今、目の前がいる。

キリスト教を信じたまま死を選ぶ人生と苦痛を味わいながらも今を生きるという選択がある。

何が正しい選択なのだろうか?

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何が正義なのか?

弾圧されるキリスト教を信じている人は悪で、日本人が正義だったのだろうか?

島原・天草の乱の背景には、

過酷な年貢の負担やキリシタンの弾圧に

農民、キリスト教徒たちが不満を募らせていたという事実がある。

いつか私たちのために幕府は救いの手を差し伸べるだろうとは信じることができなかったのだ。

一揆を起こされた幕府は、戦いは戦いを生むからキリシタンや農民を信じようと選択できるとそうではないだろう。

自国の安泰を保つための政策として、弾圧を強化するという幕府側の判断もわかる。

何を信じて生きていく?

目の前の大切な人を守りたい。

きっと万国共通の想いだ。

じゃあ、他の誰かが犠牲になっても守るのか?

例えば、難民問題。

難民を受け入れれば自分の生活が苦しくなるかもしれない。

もしかしたらイスラム教徒は危ないかもしれない。

それでも大丈夫だと信じて行動することができるだろうか?

何を信じてどんな選択をするだろうか?

私利私欲での決断ではなく、

自分が後悔をしない決断をするためには歴史から学ぶことは大いにある。

沈黙から改めて気づかされたことだ。

僕たちはこれから、問われ続ける。

あなたは、どんな答えを出していくだろうか?

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