RUNNERS HIGH -福祉のミカタ-

まさに寺子屋。教育の志士たちの言葉から考えたこと

アクティブラーニングとは何ですか?

「50分間の授業中、
生徒を眠らせないことです。」

質問に対して先生はシンプルに答えた。

先日、参加させていただいた
九州教育志士の会で僕はたくさんのことを学んだ。

九州教育志士の会というのは
その名の通り九州の教育で志を持っている人の集まりだ。

小・中・高・大学の教育の現場だけでなく
さまざまな場所で必要な言葉が飛び交っていた。

もしかしたら寺子屋って
こんな感じだったんじゃないかなと思った。

そしてこの沢山の学びを忘れたくなくて
いま、電車の中でEvernoteに書き込んでいる。

今回はこれから先生を目指す人や部下を持つ人に向けて
志士の会で飛び交った言葉を自分なりにまとめて
理想の教育について考えてたことを書いていきたいと思う。

 

どうして生徒で授業で寝てしまうのか?

先生は続けた。

「どれだけ熱心に語っても
寝ている生徒40人寝ているクラスと

先生は語らずに
生徒40人が自発的に意見を言い合っている状態どちらがいい?」

考えるまでもなく
後者だと答えるだろう。

だけど、実際のところ現実では前者が多いような気がする。

恥ずかしい話
高校生の時、僕も寝ていた一人だった。

全ての授業ではないけど
ほぼ全員机に顔を伏せていた。

先生は慣れているのか淡々と語っていた。

大学では更に深刻で授業に出ないという選択をする人もいた。

じゃあどうしてこのように
授業で寝てしまうという事態が生まれているのだろうか?

結論から言うと
学ぶマインドができていないからだ。

では、何がその学ぶマインドを持つことを
妨げているのかを考えるために

一般的な生徒側の主張と
先生側の主張を
箇条書きで書いてみた。
(あくまでも中尾の妄想です。)

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生徒側の主張

・授業がつまらないから
その背景にお客様(消費者という認識がある)

・やらされている
学ぶ楽しさをしらない

・認められたいのにかまってもらえない
信頼していない

・受験合格や卒業がゴール
その目的が達成されるなら他は関係ない

・将来役に立つかわからない物理等を勉強するのか理解し難い

・アウトプットの場がテストしかない
頑張らなくても困るのは自分だけ

先生側の主張

・授業は教えて育てるものだ

・教えてあげている

・生徒から学ぶことなどない

・自分の授業スタイルは間違っていない

・この価値がわからないなんて残念だ

・もともとの育ちやセンスで決まっているのかもしれない

・違う授業スタイルだと指摘が入るかも

偏見も大いにあると思うけど、どこかに当てはまるはず。

これは決して教育の現場だけでなく福祉でも
どのような場所でも起こりえるもったいない考え方だ。

人の可能性を潰してしまう。

それでは双方にどのようなことを求めているのだろうか?

お互いの本音を聴いてみよう。

 

理想の教育とは?

生徒が求めている先生像

僕の相方が今、理想の先生とは?というテーマで
デンマークの大学で卒論みたいなのを書いている。

様々な国の学生が求めているものを
ここで幾つか要約して紹介したい。

・勉強できるできない関係なく人として認めてくれる人。

・授業だけでなく生き方を見せてくれる。現実の模範となり良き友達である。

・良い先生は私の生活の目的を実現してくれるお手伝いをしてくれます。

・私の理想とする先生は態度や言葉そして性格を理解しようと観察しようとする人。

・ゆっくりと理解し忍耐強いこと。

・意欲を与えてくれる人。

生徒側からは成長させて欲しいというよりも
自分のことを人として認めて欲しいという欲求の方が多いようだ。

会社の部下の理想とする上司にも共通する要素はありそう。

では、一方、先生が目指す教育とはどうだろういったものだろうか?

先生が考えている理想の教育

中央教育審議会の報告書にはこのように書いてあった。

生涯にわたって学び続ける力、主体的に考える力を持った人材

九州産業大学の聞間先生は
会の内容をフェイスブックで

「 問題と答えを誰かから与えられるのをまち、受け取る「消費者」側から、問題を見極め答えを自らつくりだし、誰かに与える「生産者」側へと人々のマインドをシフトさせていくことこそ、これからの日本の教育がまずやらなければいけないこと。」

と、書かれていた。

皆さんはどうだろうか?

きっとこれまでの一方的な学校の授業だときっと
「人として理解してくれる人」を満たしながら
彼らの成長を促すというのには時間が足りないような気がする。

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解決策としてアクティブラーニングの出番

アクティブラーニングはこの二つの理想を
結びつけるものだと思った。

主体性を持たせるような
ディスカッションやディベートのような演習や講義であれば

生徒の興味関心や考えをより知り、
その考えを認めていくことができる。

さらに
生徒は自分が発表する時に
友人に伝えることの難しさや
人に親身に聴いてもらえることの嬉しさに気付く。

自分の意見が拡がりを生み
学びへの面白さが徐々にわかってくる。

一方的な授業だったら物足りなさがあったが
自分に合わせて幾らでも深めていくことができる楽しさにも出会う。

授業を通して生徒と密に関わる時間が増えることで
先生の学びも生徒との信頼関係も生まれてくるはずだ。

志士の会の中で、

最終的には

「誰が先生だっけ?」

と思えるぐらい生徒同士で
自発的に打ち込んでいる状態
理想的だという先生の言葉が印象的だった。

 

環境づくりに必要なこと

先生方が環境づくりについて話されていたなかで
心掛けたいことを3つ挙げる。

・『私は発言しても大丈夫なんだ。』という環境づくりをする。

発言に対して生徒が伝えようとしていることを
伝わるようにしてみるということもその一つだろう。

・答えを簡単に教えない。
生徒に簡単に教えてしまうと自分で身に付けようという気持ちが起きにくい。

・社会との連携で、主体性をもたせる。
社会的な課題や仕事とつながることによって
受験合格や内定より先のことが見えてくる。
当事者意識が湧き、自発性が生まれる

生徒にとってよい時間、よい環境とは
どのようなものか考えることによって

先生や指導者の役割は何なのか。

何に時間を使っているだろうか。

再度見直していきたいと思った。

学ぶことは楽しいことだ。

どのように伝えるかその人の手腕が試される。

 

志について

最後に志の話になった。

どんなに教育の手法を知ったとしても
自身にどのようにしていきたいのかという
意志がなければブレる。

いろんな手法があるが
その手法を闇雲に使うのではなく
考えて決断しなければならない。

そのためには志が必要だ。

自分が今、完成している状態ではなくて
まだまだ未完成であり、まだまだ知らない道を知ったときに
柔軟に変えていける度量も必要だろう。

自分が常に変化して背中を見せ続ける存在へ。

友人や生徒や部下がどんな環境であっても
考え挑戦していける未来志向マインドを持てるよう
愛を以て関わっていきたいものだ。

教育分野で歴史が動き始める瞬間に
僕は立ち会えた気がした。

 

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