RUNNERS HIGH -福祉のミカタ-

人生は短い。だからこそ時間の使い方をしっかり考えておきたいものだ

人の命は有限である。

それでも人はその中で

少しでも長く生きようとする生き物だ。

さまざまな不老不死を求める人々が

漫画や映画等でも描かれているように。

今朝は「人間とは何か?」というテーマで話しながら、

ふとそんなことを考えた。

なぜ人は永遠に生き続けることを求めるのか?

死と言う見えない恐怖から逃げたいのかもしれない。

現状としてまだ僕の知る限りでは

150年以上生きながらえた人を知らない。

26歳に今なるけれど時間はあっという間に過ぎている。

セネカが言うように人生は短いのだ。

地球が誕生してからのことを考えると

僕が生きているこの瞬間なんて、ほんの一瞬。

でもその限られた時間の中で

何か生きた証の中で何か残したいと願っている。

自分の意志を誰かに託して

この世を後にできるように。

今回は、この限られた時間の使い方について考えていきたいと思う。

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人生は粘土細工ではなくて彫刻である

やりたいことはいっぱいある。

新しいことに挑戦することは

いいことだと個人的には思う。

だけど、それを全てやり続けようとしたらどうなるだろうか?

二兎を追う者は一兎をも得ずという諺(ことわざ)があるように

結局どっちつかずになってしまう。

ある人は人生を彫刻と例えた。

粘土細工のように追加して

作り上げていくのではなく

いらないものを削り取り

作品を完成していく彫刻。

この過程を人生に置き換えてみると

行動してその物事が必要ないと

決断してやめる(削る)行為があり、

その最後に残ったものが自分自身だということ。

辞めるという行為は始めることよりも難しい。

自分が人生をどのようなものにしたいのか?

いつまでも問い続けていたいものである。

北九私立大学山崎進先生が今朝のブログ記事は

何かをやめるヒントがつまっていると感じた。

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新しいことを始める時は,何かをやめる必要がある。時間は有限なので。

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臨死体験するぐらい動いたら人生は充実するのだろうか?

「いやいや、時間は自分で作るものでしょ。

朝の6時から2時まで動けば、やりたいことは幾らでもできますよ。」

というような根性論が聞こえてきそうですね。

しかし、体が悲鳴を上げていて

何かを達成していくというのは

内面での充実はしないと思う。

ここで考えなければならないのが自分の時間の使い方。

自分の行動を見直し、

本当にこの動き方がベストなのか問う必要があるはずだ。

この仕事は本当に自分でしなければならないのか?

自分が担う役割は何なのか?

集中すべきところは何か見直すだけで、

圧倒的に時間を短縮できることだってあると信じている。

日本人は他国に比べると働きすぎだと思われているのは、その通りだと思う。

日本でそれが美徳のように言われています。

しかし、自分が疲弊するまで働いているのに価値が生み出せているかが重要なはず。

今のやっていることは

誰かの役に立っているだろうか?

目の前のことだけに追われることなく全体を知り、

そこから1点に絞って動くこと。

誰かの力を借りる

経験がモノをいうところはある。

意識するかしないかだけで大きく変わるんだと思う。

僕はいまさらだけど、

わからなかったら人に聞くということを覚えた(笑)

そのことで自分で解けなかった問題が一気に解決していった。

要は他の人の経験を借りるというのも

上手く日常生活に取り入れると時間短縮できる。

その前提には自分の状況を

相手に伝わるように話すことが必要だ。

さらに何が今、問題なのか自分で把握しておくことが肝心。

あとは、返せるのであれば何かしらの形で

その頼った人に御礼をすること。

だからリフレクション(振り返り)の時間を

日常に取り入れることは欠かせない。

自分の行動を疑い、問題を知り、

次に活かす時間なのだと思っている。

自分の感情等を整理して

人生の中期でいいので設計を行いたい。

どれぐらいまでやればいいのか上限を決めるなければ

いくらでも動いてしまうから。

臨死体験して身を滅ぼすことなく

充実した生活を過ごせるために以上のことを心掛けたい。

そんな決意も込めて今回は時間の使い方について書いてみた。

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