RUNNERS HIGH -福祉のミカタ-

いつまで仕事を続けるのか?哲学カフェで考える

いつまで仕事を続けるのか?

昨夜、岡山のヒビ照ラスというカフェで開催された哲学カフェのテーマだ。

哲学カフェはフランスで始まった企画。

高校時代に哲学を学ぶことが当たり前にあるフランスで卒業した人達同士が

久々に哲学しようぜと片手に飲み物を持って始めたのが起源なのだそうだ。

知識を基に学び合うというよりも互いの意見に耳を傾け、多様さを楽しむ。

決まっているのは、その時間では一つのテーマに絞るということだ。

今回は1時間ほど12名の方々と話した。

何か共有した人たちのなかでこれといった結論があるわけじゃない。

一個人としては、いつまで仕事を続けるのか?

という問いに対しては、

仕事自体は頭と体が十分に動けるまで続けると答える。

いまは65歳で定年退職が一般的だけど、それ以降も仕事は続けるだろう。

きっと、何もしないと退屈してしまうし、

何より誰かの役に立つことに幸せを感じるから。

だけど、一つの組織で続けるかどうかというとNOになる場合もある。

今回は、仕事をいつまで続けるのかというテーマについて考えていく。

仕事を続けるのはお金のため?やりがい?

ライスワークという言葉がある。

生活のために働くということを揶揄した造語だ。

割り切って仕事を稼ぐものとして働くことは別に悪くない。

それもその人達の生き方だし、お金は必要。

僕も収益をあげる力は、つけていきたいと思っている。

でも命を削り、お金のためだけには、僕は働きたくない。

そして、誰かからお金をだまし取るような働き方はしたくないと思っている。

そのような働き方を強制されるときは、辞めることを決断する。

あとは、人間関係。

信頼できない人だったり、どうしても合わない職場環境では我慢しては働かない。

仕事という行為は続けるけど、その職場だったり組織での仕事は自分の軸に沿わなかったら辞める。

アリとキリギリス

例えば、童話でよく仕事の話になると使われるアリとキリギリスの話。

キリギリスのことを羨ましいと思いながらも、働き続けたアリは幸せなのだろうか?

僕は、アリでその行為が楽しいと思えていたのであれば、一番いい人生だと思う。

だけど、アリでキリギリスや別の生き方を選ぶというのはリスクも伴う。

ただ、自分で決めて働くことを続けるというのは、会社に雇われて働くという選択よりも自己責任が伴う。

行動できないことを他人のせいにしない

社会人1年目ぐらいのときに、家族を持って子供ができるなど背負うものができると無理できなくなるよ。

というアドバイスを受けたことがある。

この言葉、いま実際に結婚してみるとわかる。

僕は昨年、妻に頼んで福岡から鳥取への移住をお願いした。

妻には仕事があったけど、僕の決断で辞める道を選んでもらった。

一つの決断が、自分以外の人生を変える。

これは、成功すればいいけど、成功する保証なんてどこにもない。

じゃあ無難な道をと考えて、自分のやりたいことは諦めるのか?

と言われると、制約のなかで最大限できることを考えていく生き方をしたい。

家族ができたからとか言い訳をし始めると幾らでも自分の行動を狭めていくことになる。

職業を特定しない

これからの時代、どんどん職業がなくなり、また新しい職業が生まれる。

ユーチューバーなんて職業はここ最近生まれたのに、なりたい職業で上位に入っている。

じゃあ、その職業が残り続けるかというとわからない。

でも、ユーチューバーが提供している人を楽しませるという価値提供はなくならないと思う。

職業ではなく、自分が人に対して何を提供したいのか?

そして、そのために何ができるのかを常に時代の変化にあわせながら考えていくことが今後より求められるのではないだろうか?

僕は、特定の職業に縛られることなく、頭と体が動くまで仕事を続けていきたい。

そして、その時の喜びを分かち合いながら生きる人生を選ぶだろう。

皆さんは、いつまで仕事を続けるだろうか?

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